オーナープロフィール

 

川上 正剛

オーナーシェフ

川上 正剛 (Kawakami Seigo)

1969年、川越生まれ。

和菓子屋を営む両親の長男として生まれる。
 

幼い頃より、店の手伝いをし、両親が一生懸命働く姿を見て育った。
 

白衣に帽子をかぶった、和菓子職人の父が焼き立てのどら焼きをひょいっと味見させてくれる、温かくて美味しかった。作りたての味が子供の頃から当たり前の様にある、恵まれた環境でした。
 

子供の頃、両親によくレストランやステーキハウスに連れて行ってもらった。

ハンバーグやステーキが大好きで、デミグラスソースが美味しかった。

シェフが鉄板でステーキを焼き、フランベする。かっこよかった。

すごく特別な時間で、いまでも良い思い出です。
 

学生の頃、レストランや喫茶店でアルバイトをして、厨房に入り、皿や鍋を洗いながら大きいサーロインやフィレ、牛タンを煮たり、デミグラスソースを作るところを見たりで本当すごいなぁと思った。そして、コーヒーをサイフォンで入れるのを教えてもらったり、接客サービスをやらしてもらった。お客さん側から、お店側の立場を経験出来て本当楽しかった。

学校を卒業して、和菓子職人になるか迷いました。そして料理人になりたいと思いました。

おそらく、子供の頃のレストランの楽しい思い出と、白衣を着て和菓子を作る姿を見ていたのと、自分も一から道を切り開く事にあこがれたんだと思います。

近所に、ホテルオークラのシェフの方がたまたまいらして、運よく紹介してもらう事となり・・・。

1988年、料理人としての人生を志す。

銀座のホテルのレストランからフランス料理の修行が始まる。

見るもの、聞く事すべてが初めてで、クタクタになるまで毎日働いた。きつかったし厳しかったけど、料理人の姿勢を基本から学ぶ事ができた。
 

ある日、フランスで修行した先輩が、まかないで作ったフランス料理を食べて衝撃が走った。

そして、絶対フランスに行こうと決意しました。フランス料理にのめり込んで行きました。

その後、横浜インターコンチネンタルホテルのオープニングスタッフを経験し、都内のフランス料理店で修行して、たくさんの素晴らしいシェフや先輩に出会い、料理の基礎を学びました。本当に感謝しています。

1993年、湘南のレストランのシェフを任される。

相模湾の新鮮な魚や湘南の野菜を使って、若いながらに奮闘しました。

しかし、自分の料理の引き出しの小ささに悩み、休みの日には他のレストランで研修させてもらい葉山のホテルやレストランで素晴らしいシェフに出会い多くの事を勉強させて頂きました。

1998年、料理人になり10年、念願の渡仏。

フランスに渡り プロヴァンス の「ムーラン ダイーユ」でオーナーシェフのベルナール バルドー氏のもとで働きはじめる。
 

もちろん、給料は無し、住むところはガレージのような部屋。言葉の壁や人種の壁に四苦八苦しました。
 

偉大なシェフは、まるで錬金術師のように、いままで日本で読んでいた、フランスの料理本に出てくるような料理を作っていく。

素材は野菜も、魚も、肉も、ハーブも、フルーツも、チーズも、なにもかもが美味しかった。感動しました。
 

僕を入れて、3人で仕事をしていたので、今までやった事のない調理法や、料理の考え方を実践で教えてもらう事が出来ました。
 

その偉大なシェフから、「手を使って料理をつくりなさい。」と、美味しい料理をつくる手をつくりなさいと教えてくれました。
 

夏のヴァカンスの時には、あんな小さい田舎の村に、英国王室から元大統領などのVIPやセレブ、世界中からレストランで食事をする為にお客様が訪れます。その年、ミシュランの星を獲得しました。
 

その後、パリに移り、、数軒のレストランで働きました。
 

さすが、パリは華の都。美しかった。そして、自分と同じ様に日本から来た料理人達と出会い同じアパートメントを紹介してもらい、エッフェル塔の近くのそのアパートメントで、仕事から帰ると、みんなで料理の話しをしながら将来のことを語り合ったりした。
 

故郷を思い、異国の地で修行する。同じ方向を見てがんばっている。良きライバル達。すごい刺激をもらった。
 

プロヴァンスの豊かな自然と恵まれた素材、パリの芸術的で都会的な洗練された美しさ。を経験して、もっといろんな所が見たくなり料理の旅をする事に決め、フランス各地を旅しながらその土地の名物料理や素材、ワイン、風土など体験しました。
 

ヨーロッパは国境がつながってるので、せっかくだからと、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなど10か国以上の国を旅をしてまわり、料理を通じて本当にたくさんの事にふれ、勉強になりました。この経験が出来た事は自分の人生にとって、非常に大きかったと思います。

2000年、帰国。

都内や、横浜でシェフに就き、自分の料理を表現した。段々とまわりから認められるようになっていった。

しかし、いつもなにか違うと感じていた。そのころ、世の中的にも景気が悪くなってきて、いろんな事がやりずらかった。
 

西麻布のレストランのシェフをしている時、大変良くして頂いていた常連のお客様から、六本木ヒルズが出来るという話しを聞いた。
 

そのお客様が地権者で、そこでイタリア料理店をやりたいとおっしゃったのです。
 

最初は、だれか紹介してほしいと言っていたのですが、どうやら僕にやってほしいと言うことになって来ました。しかし僕はフランス料理の料理人なので、ありがたかったけどお断りしました。
 

しかし、気になっていたのでしょう。ある日アルバイトのスタッフにフランス料理とイタリア料理の違いを尋ねました。すると、フランス料理は高級食材の名前が出てきて、イタリア料理はパスタや、ピッツァ、デザートの具体的な名前が出てきました。これは、イタリア料理が、どれだけ日本人に馴染んで、愛されているかという事なのです。
 

本来それが一番の基本になるのではないか、多くの人にわかりやすく、好まれる料理。イタリア料理を学びたいと思い始めたんです。
 

一度はお断りした話、しかし正直にこのような気持ちを話しました。そのお客様は、こうなる事が最初からわかっていたように、どんどん話しが進んで行きました。そして、六本木ヒルズが出来るまでイタリアへ行って料理だけじゃなく、イタリアを感じてきてほしいとおっしゃったのです。
 

お得意様から、恩人となっていったのです。イタリアに行ってる間の給料も頂ける事にして下さって、それから数か月が経ってイタリア フィレンツェに行くことになったのです。六本木ヒルズができる2年前のことです。

2001年、イタリア フィレンツェ「リストランテ・ダ・ステファノ」で働きはじめる。

イタリア語はほとんどわからないまま、働きはじめた。店の仲間達は興味津々で日本人の僕を見ている。仕事をする為にジェスチャーと英語少しのイタリア語でコミュニケーション。魚をおろす時うしろで視線を感じ、さばき終わる時「ブラボー!」の声。その瞬間、緊張がほぐれた。
 

フランスとイタリアはとなりなのに働く環境が違った。みんな明るくて、冗談ばかりやっているし。楽しかった。
 

「リストランテ・ダ・ステファノ」はフィレンツェの市街地からキャンティーに入る途中の?ガルッツォ?というところにあります。
 

最初は20席ぐらいの小さい店から、となりを改装して、またとなり、そして裏を全部使って、僕が働いてた時は外のテラスを使うと、200席以上の大繁盛店です。そこで、日本の元総理大臣が来店して、僕が日本語で接客しました。イタリアの著名人や外国からたくさんのお客様がいらっしゃって、毎日満席で夜中の3時ぐらいまでみんな仕事しています。開店時間が夜の8時という日本では考えられない話しですが、なにせ夏は夜の9時過ぎに日が暮れるんですからね。夕方6時くらいにまかないで、みんなで毎日ワインが5,6本飲みながら楽しくやります。店が開くころ僕はほろ酔いでした。そこから、店がオープンするとみんな別人の様にかっこいいんです。レストランのプロフェッショナルなのです。
 

だんだんとイタリア語にも慣れてきて、バンコーネ(カウンター)で前菜をまかされた。そこはオーナーがいつも入ってる所で、店の一番正面です。
 

お客様も日本人がいるからびっくりして、おもしろがって、たくさん話しかけて来ます。店の顔みたいになっていきます。
 

ふと、ホールの方を見ると、お客様とカメリエーレ(スタッフ)、オーナーのステファノが一体となって、まるで映画を観てるような空間でした。料理と人と空間が幸せな時間となってキラキラしていました。本当に素敵な場所だと感動しました。僕の理想のレストランです。
 

オーナーのステファノにもとても良くしてもらい、休みの日にたびたび自宅に呼んでもらい、一緒に畑仕事をしたり、コンクリートを練って鳥小屋を造ったり、ワインを樽からビンにつめたり、市場に連れて行ってもらったり、お兄さんのレストランで名物料理をご馳走になったり、とたくさんの事をして下さいました。なかでも、奥様が夏の暑い時にカンパリ ソーダをいれてくれるんです。上半身裸で畑仕事してる時なんか最高においしい。ステファノの家はキャンティーの中にあり、古い石造りの家で、薪窯があったり、トスカーナの昔ながらのキッチンがあって、そこで伝統的なトスカーナ料理を一緒に作って、教えて頂きました。本当に最高に美味しかった。シンプルで、素材の味がガツンとくる、ステファノは僕に、「料理は良い心と良い目を持って作る。」と教えてくれました。そして一生懸命働く事をたくさん褒めてくれました。 僕が住んでいたのは、フィレンツエの駅のすぐ近くのヴィア ファエンツァのアパートメントで下の階には、マネージャーのルイジの家族が住んでいて、ルイジのマンマ(お母さん)には、イタリアのドアの鍵の開け方(イタリアはセキュリティー上鍵がたくさん付いてる)、洗濯物の干し方(フィレンツェは景観の守るため、中庭にロープをはってつるす。)、下から朝食は食べたか!と呼ばれる。本当おせっかいだが、すごく良い人。やさしい人たち。部屋の下の通りのバール(カフェ)には毎朝カプチーノを飲みに行き、いつからか、ツケでまとめて月末に払うようになってしまった。なんか昔からここに住んでいたみたいな感じで、自分がイタリア人になったかと錯覚してしまいます。仕事に行くときは近所の人達にボン ラボーロ!(仕事がんばれ!)と声をかけられます。毎日が楽しくて、どこかなつかしくて、子供の頃の日本の思い出とかぶりました。
 

休みを利用して、食べ歩きにいろいろな所に出かけ、その土地の美味しい料理や、ワインを勉強してきました。
 

たくさんの良い人達に囲まれ、すばらしい貴重な経験の数々。まだまだ帰りたくないくらいでしたが、日本に帰る時がやってきて、みんなからは、「次はいつ帰ってくる?」なんて言われて寂しくなりましたが、最後はきつく抱き合ってイタリアから日本にもどりました。

2003年帰国、六本木ヒルズがオープン。

「バッサネッラ」をコンセプトから設計など全てのオープニングに携わり、イタリアで学び感じた料理で著名人を含め、たくさんのお客様を魅了し成功を成し遂げる。
 

オーナーの備前島社長には、西麻布のレストランの頃より目をかけて頂き、イタリアに研修に行かせてもらい、六本木ヒルズという日本中から注目される様な場所で、店を立ち上げる全ての事を教えて頂き、毎日のように僕の料理を食べて、家族のように接して頂いた。すべてが感謝で大切な恩人です。そしてイタリア在住の鈴木さんにも大変お世話になり、心から感謝しています。

2006年、ウェスティンホテル東京「テラス」料理長に就任。

200席以上のレストランで朝食からディナー、数々のイベント、外国からシェフを招いてフェアー。数十人のスタッフを率いて、多くの著名人、有名人、芸能人、セレブなお客様、全国から、そして世界中から来るお客様の料理を作る経験をした。そして、組織とシステムで大所帯のレストランを動かす事を学んだ。

2008年、川越 南大塚駅前にリストランテ ピッツェリア マンジャをオープン。

生まれ育った場所で、原点に帰り、オーナーシェフとして独立。日々奮闘中!

地元から出ていろいろな場所で修行して、地元でまたイチから勉強させてもらってます。

2016年、トリッぺリア マンジャをオープン

2016年 川越駅のクレアモール商店街から1本路地に入った場所に、トリッぺリア マンジャをオープン

日本では数少ない「もつイタリアン」を川越初の出店、フィレンツェでの修業時代に通った中央市場の中にある食堂のイメージで作りました。

2024年、アンゴロベッロオープン

日常の暮らしの中にイタリア料理をもっと身近に楽しんでもらいたい。という思いから、イタリアンテイクアウト専門店とオンラインショップを立ち上げました。

16年間お客様に愛されてきたマンジャを閉じ、生まれ育った生家を改装して新たな業態としての再スタートです。
地元のお客様には店舗販売、オンラインショップでは全国へお届けできるので、今までSNSなどで料理写真を投稿すると、料理送ってほしいと頼まれていたので、これからは、リクエストにお応え出来るようにがんばります。

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